一周忌を過ぎたからと、おばさんがお祝いを贈ってくださった。漆塗の夫婦茶碗。普段用に使ってくださいと母に電話があったらしく、つまりあえて普段使いしてくれと伝える必要のある高級品を贈りましたってことだと、母から連絡があった。確認すると宮廷御用達の夫婦茶碗のようで、即御礼の品を配送で送ったら、私に電話をくださった。


母曰く、自然乾燥でなく都度拭かないといけないから扱いにくい。共働きで忙しい夫婦なんだから、普段使いには向いてない。とのことだったけど、

おばさんは食洗機も使えるし自然乾燥で平気だと言う。自分が結婚した時も夫婦茶碗を頂いたがそれは日常使いに不向きな品だったからお正月だけ使っていたと。だから、私には日常使いできるものを選んだから是非使って欲しいと。

実際問題はきっと母の言うように、適当に扱ったら傷みやすい繊細な品だと思う。きちんと手入れして使えばずっと使えるけど、今の生活じゃ100均の茶碗のがずっといいと思う。

ただ、きっとおばさんは、店頭でお店の人に相談したか説明文をよく見たかして、心から日常的に使って欲しいって選んでくれたように思う。

母とおばさんの長い付き合いの中で色々な出来事があったのはわかるから、母にしか見えていない部分もある。けど、電話で直にお話しして、私自身としては真っ直ぐに嬉しく感じた。電話も長くなって、お祝いの電話だけどおじいちゃんのことで涙ぐむような流れになったのも、私はこれはこれで嬉しかった。

私も、今でも全然泣けてくるし、おじいちゃんに会いたいし、いなくなってしまったなんて嘘だよって祈るような気持ち続いてる。もちろん母に全て任せてて亡くなってからめそめそしてるのだめなんだけど。

母にはおじいちゃんとの長い長い歴史があって、そして本当に毎日毎日休みなく心身ともにギリギリまでお迎えがくるまで介護して見送った。だから涙が出るだの夢に出てくるだのそういう悲しみ辛さはあまり負わなくていいし、負わなかったことにほっとしてもいる。

でも私自身は悔いも沢山だし、もっともっと元気でいて欲しかったと思うし、だから、違う側面わかっていても、おばさんがおじいちゃんのこと沢山慕っていて沢山褒めていて、私のこと可愛がってたことよく知ってくれてて、おじさんこう言ってたよああ言ってたよ、なっちゃんのこと大好きだったよねって、いなくならないで欲しかったって、そう言う話をずっとしてくれるの、救われる気持ちでもある。

おじいちゃんはずっと生きてるなって、みなさんが私がこうして生きて思い出して話している間は、おじいちゃんいるなって、思える。親戚がいてよかったって思う。